大企業からベンチャー企業へ転職した人の末路

テクニック

これは、私が国立大学発のベンチャー企業で働いていたときの話です

当時、PナソニックグループがまだM下グループだったとき、M下電工から博士号を持った研究者が1名、地元の東証一部上場会社、O社の製造部門から、その年丁度管理職へ上がるタイミングの人が1名、私が働くベンチャー企業へ転職してきたことがあります

その2名の方の話です

現Pナソニックから来た方をPさん、東証一部上場のO社から来た方をOさんと仮に呼びます

結論から言いますと

Pさんは体調を崩して退社

Oさんは、当時、ベンチャー企業の社長に工場長候補としてハンティングされたものの、工場長になれずに平社員の待遇に耐えられず、退社し、地方の企業へ転職しました

退社後のOさんには、その後まちでバッタリと出会い、当時の話を聞いたので後述します

彼らがどの様にベンチャー企業と出会い、何故一部上場企業から、わざわざその地位を捨ててまでベンチャー企業へ転職したのか、紹介したいと思います

Contents

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この時学んだのは、以下のことです(結論)

一度味わった生活水準を下げるのは非常に難しい
収入減により生活水準が下がると、自信喪失に繋がる(特に男性)
だから、収入と会社の待遇は非常に大切である
転職を考える時の注意点
・年収が下がる様な会社を選んではいけない
・福利厚生などの待遇が下がるような会社を選んではいけない
・将来の待遇(期待値)を入社の条件にいれてはいけない

時代は就職氷河期

まだ大学院生1年目で、研究室での研究に没頭する毎日でした

たく
たく

なんか働きたい会社、特にないなぁ

山一証券の様な超エリートが集まる大企業でも、あっさりと倒産するし

教授が博士課程に推薦してくれるって言うし、興味あるから進んでみるか

みらい
みらい

普段、私には将来の仕事に関して、あれやこれやとうるさく言うのになぁ

学生時代のお父さんって、自分の将来設計とか考えてなかったのかな

今の若者と同じじゃん

たく
たく

いや、とは言ってもさ、将来の事って中々決められないでしょ
理想と現実のギャップというか

みらい
みらい

単に現実を知ろうとしていないだけなんじゃないの?

たく
たく

(将来の自分の娘とは言え、発言が鋭いな・・)

氷河期時代は、いろいろと大変だったんだよ。。。

みらい
みらい

・・・

就職氷河期に差し掛かり、ベンチャー企業というものが注目され始めた時代です

丁度大学院へ進学するころ、所属していた研究室の教授が、共同研究していた企業と提携し、ベンチャー企業を立ち上げようとしていました

教授は国家公務員のため副業はできませんので、あくまで共同研究者として名を連ねるだけですが、研究室を卒業、修了した教え子をそのベンチャー企業へ送り込んでたので、かなり教授色の濃い集まりであったことには違いありません

ここで、補足として、何故大学との産学共同研究に地元の中小企業が大半を占めるかを解説します

大学との産学協同研究に中小企業が多い理由

理由は主に2つ

1. 研究費が欲しい大学と最小限のお金で研究開発したい中小企業
2. 日本の企業の99.7%が中小企業、大企業と呼ばれるのはわずか0.3%

一つ目は、研究ネタは豊富で設備もある(研究室に拠る)が、研究費が欲しい大学と、いくらかの研究予算は取れるが、人員と設備を揃えるほど体力の無い中小企業とのマッチングです

丁度、所属していた大学の研究室の教授は、研究費の確保に活動していました

いくつかの地元企業とコラボして、教授の研究分野に関する企業の研究開発を請け負う代わりに研究費を寄付してもらう取り組みです

中小企業にとってみれば、研究開発の部門を持っていない場合が多く、人を新たに雇っても直ぐには結果が出るわけではありません

大学の研究室には、既に研究に必要な設備と、ブラックな条件でも研究し(働き)続ける学生という人材がいます

大学の研究室へ委託すれば、自社で研究開発部門を抱えるのに必要な投資金額よりも少ない寄付金額で、共同研究という形で大学が研究をしてくれるため、企業にとっては助かる存在なわけです

二つ目の理由は、大企業に比べて、中小企業の数が圧倒的に多いからです

経済産業省の外局の一つ、中小企業庁の報告によれば、日本の企業の99.7%を中小企業が占めています

更に、地元に根強い大学であればあるほど、地元企業との関わりが強くなり、中小企業と関わる機会が増えます

登場人物プロフィール

二代目代表取締役社長Gさん(以降、二代目社長)

私の所属していた大学の研究室の所属し、教授からは絶大な信頼を得ていた
大学院修了後、地方の企業へ就職したが、今回のベンチャー企業の立ち上げ要員として教授に呼び戻された
30代半ば(当時)
野球のプロテストに合格するも、一般企業への就職を選択

初代代表取締役社長Sさん

共同研究提携企業の代表取締役社長
提携企業の創業者でもある
50代(当時、多分)
見た目、やり手のベテラン中高年男性

パートA

ベンチャー企業立ち上げ時にハローワーク経由からの応募で入社
30代半ば(当時)
シングルマザー

Pさん(正社員)

松下電工(後にパナソニック電工を経て、パナソニック本体に合併吸収)の元社員
Ph. D(理系の博士号)、研究者
40代後半から50代前半(当時)
当時松下電工の研究開発品の、非常に難しい加工ができるところを探していた
とある紹介で、本ベンチャー企業を知り、来社

Oさん(正社員)

地元に工場を構える、東証一部上場企業の元社員
製造一筋
30代後半(当時)
話にユーモアが溢れ、若ハゲの自虐ネタを多様

Nさん(正社員)

二代目社長の大学時代の同期生(研究室は別)
東証一部上場企業に正社員として勤務していたが、同社経営破綻をきっかけに、二代目社長からベンチャー企業転職の声がかかる
35代半ば(当時)

正社員B

私が学生時代に所属していた研究室の1学年先輩(歳は2つ上)
成績は学年2位になるなど、学力優秀かつ、スポーツ万能
学生時代に、1年間のワーキングホリデーを経験し、英語ペラペラ

正社員C

私が学生時代に所属していた研究室の、隣の研究室の2学年先輩
学生時代は話す機会も無く、ベンチャー企業に入ってから会話をするようになった

私(筆者)

学部4年生の研究室配属決定の集まりに寝坊し、選択肢を狭め、残った研究室に配属
大学院の過程へ進学する際、別の研究室選択の機会があったが、自分を鍛えられる場所と判断して、同じ研究室を選択
大学院修士課程〜博士課程(当時)

国立大学発ベンチャー企業の誕生

前述の通り、私が所属する大学の研究室の教授が研究費確保に奔走していた時、沢山ある地元の中小企業の交流会等のなかで、教授がSさんに出会いました

Sさんは後のベンチャー企業の初代社長になる人ですが、当時Sさんが経営する会社の創業者でもある人物

研究内容と、その中小企業が求める次世代の開発内容の利害が一致し、ベンチャー企業立ち上げの話は着々と進みました

ただ、Sさんは研究内容については素人

実働部隊として白羽の矢が向けられたのが、研究室の卒業生で、院生時代にその研究を中心に行い、優秀な成績を収めた、後の二代目社長Gさんでした

後の二代目社長は、先ず研究室の助手として呼び戻され、助手として働くことで、一定の収入を確保しつつ、過去の研究成果をより事業へ応用できるように応用研究をすすめ、ベンチャー企業の基礎を固めます

我々学生も、応用研究を中心に研究を深堀りしていきました

こうして後の二代目社長は機を見て助手を退官し、ベンチャー企業の立ち上げ部隊として、初代社長のもと、幹部に抜擢されます

幹部と言ってもその時はまだ、いち社員

立ち上げ部隊として、同研究室博士課程修了者1名、隣のの研究室から助手が1名の計3名の構成

パートAさんが入社したのもこの頃でした

因みに残りの2名の取締役は、大学教授の親族で名前だけ連ねる形

初代社長クビ

その後あれやこれや事業化を進めますが、不景気であったことも手伝って赤字経営が続き、資金を初代社長の創業会社から出資(単なる経費?)することで賄っていたものの、長続きせず

そうこうしているうちに、初代社長自身の、創業会社の取締役会で代表取締役不信任案が可決されます

いわゆるクビですね

当時の不景気と、創業会社の事業自体も競合他社にシェアを奪われる自体となり、経営不振となったのが大きな要因であった様です

株式会社という仕組み上、創業者もクビになるんだなぁ、と当時勉強になりました

二代目社長誕生

初代社長の創業会社退任に伴い、資金調達が更に難しくなり、初代社長はベンチャー企業をも離れ、二代目社長が誕生します

私がベンチャー企業へ出入りするようになったのは、この頃からです

当時、私はまだ大学院1年目の秋頃

しばらくはアルバイトとして、ベンチャー企業で働きました

約2年半後、私自身も正社員として招かれることになり、大学博士課程に籍を置きながら二足のわらじに挑戦することを決めたのがこの頃

正規社員も入れ替わり、二代目社長、パートA、正社員B、Cと私の計5名での再出発でした

二代目社長は、事業再建(とは言え、まともに黒字になったことないですが)のための資金調達に奔走

私以外の正社員B、Cは、自分で仕事を取ってくることを命じられ、彼らの給与はほぼ完全歩合制だったため、支払われる給与は実質ほぼゼロの、完全ブラック企業でした

私の場合、二代目社長に気に入られて招かれ、その社長の構想を実際に作って物に変える役割

他の社員と違い、給与は満額頂くことに

当時の給料は月額20万円、賞与なし

副業は禁止されていなかったため、他にアルバイトをしていた私には、十分な金額でした

パートAも手先が器用で、社長のアイデアを形にすることが出来ていたこともあり、決められたパートの時給を貰っていました

ただ、正社員B、Cは先輩に当たる人たちでしたから、この待遇には結構引け目を感じていたのを覚えています

まさかのPナソニックからの試験加工依頼

しばらくして、M下電工から、当時は難しかった加工の依頼がありました

大手の会社で散々断られ、とあるベンチャーキャピタルの紹介で、藁をもすがる思いで、我らベンチャー企業を訪ねてきたようです

この時、私自身もベンチャー企業立ち上げて、社長業をしてみたいと思っていましたし、実際に自分が働くベンチャー企業に、世界のM下が頼ってくれている、と考えると興奮し過ぎて毎夜の様に祝杯をあげていたことを覚えています

そして、後にP下電工から転職するPさんは、この時ベンチャー企業を訪れた一人でした

これがPさんの人生のターニングポイントとなろうとは、本人始め、誰もまだ知りません

まさかの加工成功

加工の依頼は、とある基盤に接着した非常に硬い小さいチップを、硬い部分だけ削る、というものでした

大手加工工具メーカー始め、他社での試験加工では、接着部分が剥がれて削れないという結果ばかり

私が働いていたベンチャー企業での試験加工では、その接着部分が剥がれることなく、硬い部分だけを削ることに成功したのです

これが、ベンチャー企業の最初のブレークスルーになりうる出来事でした

ここから事業拡大に向けて舵をきることになります

OさんとNさんの入社、そしてOさんの挫折

事業拡大に向けて、雇用の確保や設備の増強が行われました

この頃入社してきたのが、NさんとOさんです

NさんもOさんも東証一部上場企業で働いていましたが、二代目社長が引っ張ってきた人材

Nさんは部長候補、Oさんは工場長候補という、将来の昇進条件を打診されて入社して来ました

Nさんの前勤務先は民事再生法が適用された会社で、また不況下であったことから、ベンチャー企業へ転職してきたのも分からなくも無いですが、Oさんが勤めていた会社の経営状況は悪くなかったはずです

しかも、Oさんが勤務していた会社の営業部長は、イギリスの高級自動車ランドローバーを所有するほど

丁度管理職へ上がるタイミングであったOさんが、社員にまともに給料が払えないようなブラック企業へ転職した時は、収入のみならず福利厚生面でも相当冷遇であったことが、容易に想像できます

実際の仕事面で見ると、Nさんの前職は設計職で、Oさんは製造職

これから事業を拡大しようとしている中では、製造に力を入れていたため、二代目社長は、工場長に相当期待していたことから、Oさんは、将来の自分の工場長姿を夢見て転職したに違いありません

Oさんの得意の若ハゲを用いた自虐ネタも響き渡ります

しかしながら、Oさんは元々計画に基づいた製造では頭角を表していたものの、ベンチャー企業での計画性に乏しく、開発色の強いものづくりには向いておらず、転職後、間もなく勢いは減速

若ハゲの自虐ネタの回数も段々と減ってきました

二代目社長が期待していたほど、事業が軌道に乗らずに売上が上がらなかった事を背景に、工場長という存在自体の意義が問われ始めたことも、Oさんを追い込むことになったのです

一方Nさんは、それまでの設計の経験を活かし、売れないながらも、ものづくりを進めた結果、二代目社長の考えるアイデアを実体化するという結果を出していきます

失われた20年と呼ばれるこの時期は依然不況が続き、売上が伸びない中、二代目社長は次第にOさんよりも結果を出しているNさんに期待するようになりました

元々、工場長を打診されてハンティングされたOさんでしたが、勢いを失ったあと、工場長の職は空白のまま平社員の席を余儀なくされる一方、Nさんは取締役待遇となることに

その事実を個人的に二代目社長から言い渡されたOさんが、耐えられずに会社を早退したときのOさんの表情は、今でも目に焼き付いています

この頃のOさんは、悲痛のどん底だったことでしょう

正社員B、Cの退社

最初の試験加工から幾度の試験加工を経て、実際に、このM下電工からは加工機械の受注があり、設備を何台か収めました

ただ、その後量産体制になるほどの注文が無かったことから、M下電工の取引先としての条件や信用度合いが満たなかったことがあるかもしれません

この機械加工数台分の売上は、当時のベンチャー企業にとっては大変な快挙だったのですが、その後の受注が続かないことには事業が成り立ちません

一方、私が正社員として入社した頃から居た、正社員B、Cの依然売上は低調で、彼らの今後の身の振り方について、二代目社長と本人達との間では身の振り方についての議論が日に日に激しくなります

二代目社長は、直接的な言葉は使いませんが、売上の上げられない人間は要らない、という結論です

先輩方の、その様な話を聞くのは非常に辛かったのですが、毎日の様に聞かされると段々と聞き慣れてくる様で、今思えば、私自身も精神的に異常をきたしていたのかもしれません

そうして間もなく、正社員Bは二代目社長の紹介を経て、正社員Cは全く関係のない会社へ転職していきました

人としては非常に優しい先輩方だったので、非常に複雑な思いだった事を覚えています

Pさんの入社

工場長候補を打診されながらも、平社員の地位を余儀なくされた、Oさんの悲劇とも言えるやり取りが社内で続く中、水面下では、M下電工のPさんの入社の話が進んでいました

Pさん本人は、恐らく、やっとの思いで加工できる会社を見つけ、その技術の潜在能力に惚れ込んで

しまった様です

Pさんの博士論文も全員に披露され、あとは転職してくるのを待つばかりの状況でした

P下電工から博士号をもった技術者が転職したい、と言われ、二代目社長には断るという選択肢は無かったのでしょう

二代目社長は、研究熱心でものづくりに長けており、弁も立ちます

従って、技術営業として仕事を獲ってくる事にも長けていました

でも、二代目社長として、経歴の素晴らしい研究者を雇うより先に、事業を任せられる右腕となる様な経営者を探す方が先だったかもしれません

私自身の退社

しかしPさんの入社を待たずして、私自身もベンチャー企業を退社しました

アルバイト時代から正社員を通して、4年半お世話になりましたが、毎日の日を跨ぐような長時間残業や、人の入れ替わりの激しい環境とその人達の処遇の事実に耐えられず、体力的にも精神的にも限界でした

ただ、私自身は院生をやりながら、またアルバイトで副業を続けつつ、正社員として給料を頂いていたので、経済的には大変恵まれていましたし、まだ社会経験の浅い時にベンチャー企業を経験できたことは、その後の人生において、貴重な経験と自信に繋がっています

Oさんとの再開、OさんとPさんの退社

私自身、次の職場へ転職し、1年くらい経った頃、近所のホームセンターでOさんにバッタリ会いました

何となく顔色もよく、若ハゲを隠す様にトレードマークの野球帽を被っていました

久しぶりの再開に、話も弾みます

ただ、その時に聞いたことは、Oさん自身、ベンチャー企業での冷遇に耐えられず退社したこと、今は隣町の小さな製造メーカーに転職したこと、そしてPさんが体調を崩して退社したことでした

一部上場企業管理職直前からのベンチャー企業への転職、冷遇、退社、そして中小企業への転職

価値観は人それぞれですが、少なくとも、再開したOさんは、ベンチャー企業での冷遇を嬉しくは思っていなかったと思います

Pさんも、P下電工に居れば年収8桁は固かったでしょうし、詳しい状況は分からないながらも、体調を崩したということもあり、大企業からのベンチャー企業への転職は決して高待遇だったとは思えません

ただ印象的だったのは、Oさんの表情がどこか晴れやかだったことです

或いは、あの冷遇された環境を経て、生きていた、という安堵の気持ちがそういう印象にさせたのかもしれません

まとめ

大企業の中でも、東証一部上場企業を自ら退職し、社長とパートを含めて5人のベンチャー企業へ転職する事を選んだ二名の話を、実話を元に紹介しました

ベンチャー企業への転職により、恐らく二人とも、年収は半分以下となったことでしょう

それでも夢や希望だけで乗り越えられるほど、人の人生に対するリスク許容度は高くありません

収入や福利厚生の条件は、生活する上での豊かさに直結します

自ら選ぶのであれば、生活水準が下がったり、豊かさが低下するような転職は、絶対に避けるべきです

また、将来の処遇は約束されたものではありませんので、Oさんの様に将来の処遇を加味した転職も避けたほうが良いです

一方で、現在の日本の雇用形態は未だ年功序列の終身雇用が多く、一つの会社に勤めていても、中々賃金が上がらない構造になっているのも事実であり、サラリーマンで年収を上げるには転職が近道です

私自身も転職を3回経験し、転職の度に年収と福利厚生条件の高い会社を選んできました

日本には400万社以上もの企業がありますので、もう少し時間をかけて選んでいきましょう

一度味わった生活水準を下げるのは非常に難しい
収入減により生活水準が下がると、自信喪失に繋がる(特に男性)
だから、収入と会社の待遇は非常に大切である
転職を考える時の注意点
・年収が下がる様な会社を選んではいけない
・福利厚生などの待遇が下がるような会社を選んではいけない
・将来の待遇(期待値)を入社の条件にいれてはいけない

以上、参考になれば幸いです




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